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アスペルガー症候群②(わたしの父親の話)

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アスペルガー症候群と家族

ⅰアスペルガーの父

 アスペルガー症候群の人は人の気持ちがわからないから過激な嫌な感じの言い方をする。また、パターン化したことは得意だけど、予期せぬ出来事でパニックになるので、暴言を吐くことが多い。私の父親は間違いなくアスペルガー症候群だと思うが、初めは勿論そんな障害も知らなかった。だから、私の中で父の言葉や行動は、おかしくても幼い頃からそれが当たり前の日常だった。初めからわかっていたら、もっと楽な人生だったかもしれない。父の今思えば不思議な言動に、家族がどんな風に感じ、苦しんだか以下に述べる。

 

・父とわたし

私は自分の父親に26年間父親をやってもらっているが、実家に暮らしている18年間はきちんとコミュニケーションをとれたことはなかったように思う。まず会話は1分もしたことがなかった。父はまず否定をする。どんなに正しいことでもとりあえず初めに否定をする。何かを言っても、理解するまで時間がかかるようだ。怒鳴られることはしょっちゅうで、なんでもかんでも怒られた。昔は、些細なことでも怒鳴られてばかりだったので、自分はどんなに悪い子なのかと悩み、すべてを否定されるので、とても否定的で自己肯定のできない子どもに育ち、父はただただ恐ろしい存在だった。

 

自分が大きくなるにつれ、父がおかしいのだと思うようになった。父が否定してもあきらかに正しいことは正しいとわかるようになったし、些細なことで怒鳴られても、悲しいけれど、怒りすぎてやしないかと、不思議だと思うようになった。小さい頃は、神経質で、厳しくて、子どもへの愛情がない人なのだと思っていた。でも今振り返ってみて、そして、今父と関わっていて、父には、アスペルガー症候群というものがしっくりくるなと思った。

 

 すべてをまず否定してしまうことも、想像外のことを理解できないアスペルガー症候群の特徴であるといえる。激怒することが多いのも、自分の感情を抑えられずに不平不満をひどい言葉で怒鳴る方法で表現してしまうアスペルガー症候群の特徴だ。

 

幼い頃、父の物、例えばスリッパを少しずらしただけで怒鳴られた。食事中にフォークを落としてしまっただけで怒鳴られ、暴力も受けた。そんな些細なことで怒鳴られるので、怒鳴られっぱなしの日々を過ごした。

 

アスペルガー症候群の人は、変化が苦手で、物の位置が変わるととても混乱し、予想のできないことに耐えられなくて、すぐに激怒して相手を怒鳴りつけてしまうのだ。

 

中学・高校時代、私は毎日学校に通い部活に明け暮れていたが、父親と関わった記憶がない。私が部活に入っていることを知らなくてもおかしくないほどだった。

毎月のお小遣いだけもらっていた。部活の遠征費、受験の参考書、学校の教科書の費用は毎月のお小遣いから払っていた。私の父親はとにかくお金のかかることを嫌い、自分の想定外の出費の理解に時間がかかるので、理解するまでの怒鳴られる苦しさを考えたら、部活の遠征費や学校の教科書代といった普通の家庭なら一言親に言えば払ってもらえるだろう学校生活の必要経費でも、月の少ないお小遣いを貯めて払ったほうが楽だった。

 

想定外のこと・流動的なルールが苦手で、自分の中で動かないルール(パターン)を決めるととても守るのがアスペルガー症候群の特徴だ。私の父は、「毎月一日にお小遣いをいくらあげる」というお金のルールができていて、また、「学費がいくら」という動くことのない、決まったお金についてのルールは理解できていて、きちんと守っていた。お小遣いも一日以外の日に渡されることはなかった。きちんと毎月一日に、決まった額のお小遣いを渡された。「学費がいくら」と決まっているルールにはみ出た、「教科書代」これは理解できなかった。部活の「遠征費」これもだ。なぜだろう。なぜ、私が怒られるのか。怒られて、理解するまで時間がかかって、やっとお金を払ってもらえるくらいなら、毎月与えられるお小遣いを貯めて、父のルール以外でお金がかかる時に使おうと決めた。

 

高校受験の時、志望校の話など父とは一切しなかった。母方の祖母が塾の費用を出してくれて、私は塾に通い、塾の先生と受験をする学校を決めて、進学校に合格することができた。

 

いつも無関心に見えた。子どもへの無関心というよりも、人とコミュニケーションをとることが全般的に苦手で、関われなかったのかもしれない。アスペルガー症候群の人は、大抵のものには関心を示さず、何か狭い範囲のものに興味を持ち、こだわり、つきつめるのだ。

 

大学受験の時には、私は理解のできない父のことがたまらなく嫌いで、どうしても父と離れたかったために東京の大学を希望した。地元の国公立大学に進学する以外の可能性を考えられない父親に、さすがに許可をとらないといけないと思い一度口にしたことがある。

その日から毎日衝突して怒鳴られて、つらく、受験勉強もままならない日々を送った。新しいことが苦手な父にとって、子どもを東京に出すという選択肢は考えられなかった。

進路相談のたびに担任の前でも涙が溢れてしまい、担任に、何故そこまで反対されても東京に行きたいのか、と聞かれた。「父親から離れたいからです」即答していた。

 

毎日怒鳴られていたのでこの頃は、いつも1人で無心で散歩していた。傷つけられる日々に耐えられず、父から逃げることも必要だった。アスペルガー症候群の人が家族にいる場合、逃げ場や相談相手を家の外につくって、離れることや客観的に考えることが必要だ。

 

大学生になるという機会に絶対に父から離れようと心に決めていたので、小学3年生から貯めていた貯金で、父には何も言わずに勝手に志望校を絞って決め、東京で受験した。

きちんとコミュニケーションをとって父と話し合うことが出来ないのはわかっていたので、こっそり受験することを決めた。

普段から関わってもいなかったし、顔を合わせない日もあったので、私が東京に行って大学受験してきたことも気づくはずもなかった。

 

結果が出て、父に事実を話さなければならなかった。怒鳴られるのは目に見えていたけど、これを乗り越えればこの父のもとから離れた生活を手に入れられると、思い切った。

 何日間かは朝の5時から説教が始まった。やっとなんとか了承を得て学費だけを払ってもらう約束をして、進学を認めてもらえたが、それからの罵倒の日々は非常に耐え難いものだった。

毎日罵られた。とても卑劣な犯罪をした悪人のような言われ様で、自分でもそのような気分になっていたけれど、この頃には父の言葉は普通じゃないのだと自分に言い聞かせ、傷ついても自己肯定する気持ちは持てるようになっていた。

 

 自分の子どもに一人暮らしをさせるという想像ができなかった父は、その想像外の出来事が起こることを理解するのに相当の時間がかかった。その間、私を罵ることで感情をぶつけていた。しかし、不思議なことに、理解するのに時間はかかっても、理解できるとコロッと態度を変えてしまう。いつもそうだった。本当に、変化や想像が苦手なだけだったのだ。

 

最近、実家に帰ったときに、離れていて忘れていた父への感情を思い出した。分かり合えない、悲しく、怒りをも覚えるこの感情。

家族全員揃って団欒していたリビングで突然私に、「話がある。部屋にきなさい」と言った。離れて暮らしている娘になにか重要な話でもあるのかと思って、父の部屋に行った。そうしたら、父が読んだ本の話を延々とされ、全く興味がないのでつまらなかった。何か大切な話の前に無駄な話しをしているだけなのかと思いきや、読んだ本の話で終わった。

 

次の日の早朝、寝ていたら父が私の部屋に来て、「用があるから俺の部屋に寄りなさい」と言い、寝起きのまま、今度こそなにか昨日言い忘れた話でもあるのかと立ち寄った。すると、また、昨日とはちがう本だが内容は似ている本の話をされた。サインをもらったらしく見せてきた。とてもつまらなかった。私はこのとき、アスペルガー症候群の特徴である、自分の興味がある分野にはやたらと詳しく、相手の興味に関係なく、相手がつまらないことを察せずに一方的に話をすることと、自分の興味のないことにはまったく興味を示さないことを思い出した。だから試しにわたしが今話題の作家から書いてもらったサインを見せてみた。父には関心がなさそうに薄い反応を一瞬されて終わり、また私の興味のない本の話を延々としたのだ。

 

私は東京から実家に帰るとき、お菓子を作って持っていく。必ず帰省中には家族に夕ご飯を作る。ちょっとした親孝行のつもりだ。父親に言われた。「たまの帰省中くらい、皿洗いをしなさい」驚いた。もちろん父は私が夕ご飯を作っているのを見ているから知っている。父は、私の作った夕ご飯を食べて、皿洗いまで私に押し付けようとする。いつも母が夕御飯を作り、皿洗いをしていて、父は母に言われてやっと1回皿洗いしたことを何度も言ってきて、たまの帰省、ゆっくり休みに来ている私に、皿洗いさせようとする。

 

父の中では母がご飯を作り、皿洗いをするというルール(パターン)が出来ているのだ。そんな中、たまに手伝って欲しいという母の言葉でようやく一回皿洗いをしたことが、ルールから外れているから奇跡のように思えるのだろう。その奇跡のような自分のしたすごいことを伝えたくて、私に言ってきたのだろう。

 

父が起こす奇妙な行動はたくさんあり、毎日のように怒鳴られ、否定され、悲しくてつらかった気持ちが強くある。今でも父の奇妙な行動は続いていて、その都度母から教えられるが、恥ずかしくて耳が痛いので聞かなかったことにしてしまう。そんな変なことをする人が自分の父親だと思いたくないし、とても恥ずかしい。とにかく父は他人ともコミュニケーションをとれなくて、他人との間で起こした奇妙な行動がたくさんあり、私は、父が他人と関わるのが怖い。